スパイラルは菅井七段の後援会である「竜棋会」の法人会員なのですが、
今回、会報誌に載せる原稿の依頼を頂戴しました。
会報誌は会員の皆様が自戦記などを書かれることが多いのですが、
私は自分が全く将棋をやらないので、スパイラルの話をするしかありません(^^;)

うんうん言いながら書いた原稿ですので、
折角ですのでブログにも載せたいと思います(竜棋会の了承済)。
スパイラルの皆様にはもう結構な数の人にほれほれとお見せしましたのに、
何度も何度もすみません(笑)。

どうして私がスパイラルをお手伝いするようになったのか、
お話する良い機会となりました。
竜棋会の皆様にお礼を申し上げたいと思います。ありがとうございました(^^)



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スパイラル将棋センターと私

 

スパイラル将棋センター 嶋村 直子

 

 

竜棋会のみなさま、はじめまして。

 香川県高松市にございますスパイラル将棋センターの嶋村と申します。

 今回原稿の依頼を頂戴しましたが、私は将棋センターの席主を務めてはいるものの実は将棋をほとんど指しませんので、今回はスパイラル将棋センターの歴史と、私がお手伝いするようになった経緯を少しだけお話できればと思います。

 

 スパイラル将棋センターは今から14年前、日本将棋連盟スパイラル支部の前支部長である佐野さんが立ち上げた「しど将棋クラブ」がはじまりです。その前から公民館で将棋講座をしていたそうですが、週1回ではなく毎日将棋が指せる場所を作りたいと、物件を借りて開いたそうです。立ち上げ当時は1日2人くらいしか人が来なかったそうですが、段々と人も増え手狭になり、8年前に思い切って高松市へ移転したのを機に「スパイラル将棋センター」に名前を変えました。スパイラルという名はどんどん強くなるイメージでつけたそうですが、印象に残る名前だと思います。

 我が家では6年前、息子が幼稚園年長組の時に将棋を覚えました。将棋でもやってくれれば頭が良くなるのではないか?というヨコシマな考えで公文のスタディ将棋を買っておいたのですが、せっかく息子が興味を持ったというのに我が家に将棋を指す人間はおらず、すぐに家族では相手ができなくなりました。そこで、高松に将棋を指せる場所はないかとインターネットで検索し、息子をスパイラルに通わせるようになりました。以前から学校の外にも息子の居場所を作ってあげたいと思っていた私にとっても、スパイラルはちょうどいい存在でした。

 私は大会の記録を取ったり遠征したり、そういう意味では熱心でしたが、スパイラルとの関わりはそれほど強くはありませんでした。週に一度か二度、送って行って連れて帰る、それだけでした。

 

 しかし平成28年の4月、佐野さんが体調を崩され、スパイラルは突然閉まることになりました。ある日行ったらスパイラルが開いておらず、次に行った時には閉店のお知らせが貼ってありました。それくらい突然の閉店でした。

 通い始めて4年目、スパイラルは息子にとってなくてはならない場所で、突然の閉店に塞ぎ込んでおりました。閉店をきっかけに他の親御さんと話す機会も増えたのですが、やはりどのお子さんも落ち込んでいて、布団の中で毎晩泣いているお子さんもいると聞きました。

 もちろん香川には他にも立派な将棋センターがありますので、息子もそちらに連れて行ってみたりもしました。強い方や大人の方の多いところでしたが、その頃息子はある程度は指せましたので、ここに通うのも悪くないなとも思いました。

 しかし、思い出されるのは息子が初めてスパイラルに行った日のことでした。人見知りする息子、生まれて初めて入る「将棋センター」という場所、むっつりしたおじいさんばかりだったらどうしようと、ものすごく緊張したのを覚えています。中に入るとお子さんがたくさんいて、息子くらいの年齢の子もいました。優しそうな女性(これが佐野さんでした)が手招きをしてくれて「ぼく、将棋出来るの?」と聞いてくれました。ほっとしました。お母さんがお子さんを連れてくることも多いので、スパイラルにお子さんが多いのは佐野さんが席主だったことも大きいと思います。

 

そうして昔のことを思い出しながら、私は自分がお手伝いをすることで何とかスパイラルを残せないかと考えるようになりました。私が将棋を指さない以上、これまでのように強い子どもがたくさんいる将棋センターを維持することは出来ないだろうけど、私と同じようなお母さんのために、息子と同じようなお子さんのために、あの柔らかい雰囲気、将棋を覚えた子どもが初めて扉をたたく将棋センターとしてのスパイラルを残したいと思ったのです。

夫にはかなり反対されましたが、スパイラルはあまりにも突然閉まることになったので、せめてみんなが受け入れられるような自然な形で終えられるように、あと1年だけは続けたいとお願いし、夫が支部長を引き受けてくれました。将棋を指さない夫婦が引き継いだ支部のことを、県の支部連合会の皆さんはとても気遣ってくれました。引き継ぐにあたり、「スパイラル」の名を変えないのかとも聞かれましたが、そのつもりはありませんでした。

 

高松の街中にあったスパイラルを、私たちの自宅に近い香川町に移転させました。そのせいで通えなくなったとのお声もありましたが、他に仕方がありませんでした。もともとスパイラルにいたお子さんのうち、かなりの数のお子さんが復活しても戻りませんでしたが、移転後も続けて来てくれるお子さんも確かにいて、その子たちの顔を見ると続けて良かったなあと思います。そして、移転したことで新しくスパイラルに来るようになったお子さんもたくさんいます。最近ではその子たちも強くなってきました。どんどん人も増え、1年だけのつもりだったのがおかげさまでそうもいかなくなりました。

 

いろんな人にご迷惑をお掛けしながら、手探りで何とか日々を過ごし、気づけばもう2年半になります。スパイラルでたくさんの子たちに囲まれながら、私の人生に突如現れたこの子たちはいったい誰かしらと、ふと不思議な気持ちになることもあります。

スパイラルのお手伝いを始めて私の人生は大きく変わりました。今まで知らなかった人たちと出会い、新しい世界が広がったように思います。菅井先生や今泉先生にはいつも大変お世話になっています。本当にありがとうございます。西日本将棋道場連合会に加えていただいたり、桑名七盤勝負の大川さんにお会いしたり、外との交流も増えました。子どもたちが私にそうさせてくれたのだと思います。子どもたちの居場所を残したいと引き継いだスパイラルですが、今ではすっかり私の居場所です。

佐野さんは体調も戻り、精力的に小学校の放課後児童クラブを回っては将棋を教えて、スパイラルに新しい子どもさんをどんどん連れてきます。スパイラルを手伝ってくれる人も増え、みんなで一緒に楽しい企画を考えています。今は、スパイラルを以前のような100人支部に戻すのがみんなの目標です。

佐野さんは「あの時嶋村さんが引き継いでくれたからスパイラルが残った」と言ってくれますが、私は佐野さんが任せてくれたおかげだと思っています。佐野さんの信用に応えられるように、これからもがんばりたいと思います。